2009/05/25

Memo

『反貧困 ──「すべり台社会」からの脱出』
著:湯浅 誠 出版:岩波新書

を読了。去年の4月に初版だから、結構最近の本。


 筆者は、普通に生きているだけではなかなか"見えない"「貧困」は、国の弱体化を示す警鐘であると言う。また、日本社会にありがちな「貧困に陥っているのは自己責任」という論に対する誤りを厳しく指摘した上で、そういった「貧困」を放置・見て見ぬフリをする社会を批判。"すべり台社会・日本"に歯止めをかける必要と、貧困の最大の敵は「無関心」であり、私たちが団結して政府に声をあげていく必要があると主張する。
 著者の湯浅誠は東京大学の法学部の出身。貧困の"現場"に自ら立って「反貧困」の活動を展開してきた。著者自身も路上で生活をしていた経験があるという。以前話題になった年越し派遣村の村長だった人だから、知っている人もいるかもしれない。
 この本も、著者が現場に立って活動をしてきた人だからこそ書けるものであり、実際に貧困にあえいできた人の話が豊富に取り入れられている。だから、そういった現場の人にしか書けないある種のリアルさと、このままではいけないのだという強い主張を感じられる。特に終章に、筆者の強いメッセージが込められているように感じた。

 この本を読んで、僕は少し蒙を啓かれたような気がした。僕たちは、例えば何か事件があったりしても、物事の表面だけを見て、
「酷い人がいたものだね」
「こうなったのは頑張ってこなかったからだろ」
といった論調に陥りやすい。僕もそういう部分があった。
 だが、物事はそんな単純なものではないことが多い。本当の原因が、実は筆者の言う「貧困」によるものであることがあるのだなと思った。そのうえで、
 "日々の犯罪のニュースに接したとき、しばしばそこには貧困の影がちらついている。それを見ずに「ひどいヤツがいたもんだ」で済ますか、真にそうした悲劇が起こらない社会を目指すか、それは私たち自身の課題である。"(本書P.221より)

 ただし、筆者の言う「貧困」とは、単にお金が無いといったことだけを指すのではないということを注意しておきたい。

 大人は勿論のこと、もうすぐ選挙権を得る私たちも、読んでおいていい本だと思う。

2009/05/17

本格的に……

 風邪ひいちゃいました。午前中は熱も無かったので、このまま治ればって感じだったんですが、今起きたら熱上がってきちゃいました;


 そんなわけで、土日は潰れるわ、予備校の予復習はできないわ、身体はダルいわで、踏んだり蹴ったりです。4月からの疲れが出たのかもしれないですね。しっかり休んで、しっかり治さねば……。

2009/05/16

うぅ……

 ちょっと風邪気味……。鼻づまりと、喉の痛みが少し。多分、豚じゃありません。豚だったら、一躍時の人となりますねー。熱は無いので、このまま鎮静化してくれることを祈ってます!


 予備校生活は面白いほどに孤独です。今のところ友達ゼロ!(笑)まあ友達作りにいくわけじゃないので、全然気にしてないですが。人との交流はめっきり少なくなりましたね。
 授業自体は面白いです。勿論、Interestingな意味で。Funの意味だったら、それはそれで困ります;

 てか、夏期講習の申し込みってのがもう終わってしまって、僕も登録はしましたが、早すぎやしませんか?(笑)まだ梅雨も来てないというのに……。こんなもんなのでしょうか。予備校ってのはホント未知のことばかりです(笑)

2009/05/10

イマドキの日記の不思議

 日記って元々は自分自身の為だけに書くもので、人に見せるものではありませんよね。「日記を見られて恥ずかしい」とかはよく聞くと思います。いや、最近は聞かないかな。
 しかしSNSやHP上での日記というのは、これまでの一般的な日記とは性質が違い、基本的に「他人が読む」ことを前提にしたものです。今までは恥ずかしいことと多くの人が思っていた"日記の公開"を、今は自ら行っているというのは少し不思議なことだと僕は思います。私たちは、やはり人との繋がりを求めてしまうということなのでしょうか。


 そんな「現代の日記」って、その対象によって分けると二つの種類があると思います。

 1つは、少数の内輪の人間を対象にしたもの。これは日記に書かれた話題が"分かる"人に対したもので、その人たちには強い印象を与えることが出来ますね。いわば「狭く深く」。
 もう1つは、多数の人間を対象にしたもの。こちらは前者ほどは読む人に印象を与えませんが、幅広い読者に内容を伝える目的で書かれるものです。いわば「広く浅く」。


 このブログやmixi、その他の場所で書く題材は違えど、僕はどこであっても、後者の種類のものを書こうと思って心がけています。理由は、文章で相手に何かを伝えるという力は、前者の種類を書くことでは伸びないと思うから。「こんなふざけたものしか書いてないのに、文章の伝達力を伸ばそうだなんて……(苦笑)」って思われそうですが(笑)。
 前者では、内容に多少のわかりにくさがあっても読む人が判断してくれるってことで、そこに甘さが出ると思うんですよねー。その甘さは、肝心なときに誤解を招いてしまったりするかもしれません。せっかく書いてるんだし、為になる方を、と思うわけです。
 あとは、前者は馴れ合いっぽくて好きじゃないから、とかも理由としてあります(笑)よくありますよね。「メールでやれ」って言いたくなるような日記。そういうのは、好きではないので……。


 ただ、「これで伝わるだろう」と自分では思っても、それが他人にはわかりにくいってことが往々にしてあるのが怖いです。そうなるのは最悪ですし。はあ、頑張ろ……。


 あ、いろいろ言いましたが、別にどちらが良いとか悪いとかを言うつもりは無いです。個人の日記だし、両者に"優劣"は無いと僕は思います。何に使ってもいいわけですしね。単に個人の価値観・好き嫌いの問題です。

2009/05/03

批判と悪口

 批判と悪口の違いがわかってない人が多い気がする。ネットではよく見かけるし、現実にも往々にして存在している。万一、批判を悪口に取られてしまったらこっちとしても困るし、そうなり得ることを思うと、言いたいこと言えなくて面倒くさい。


 批判ってのは、物事・行動などについての善悪を評価・判断すること。批判を受けたらその内容の正当性なんかを判断して、納得なら受け入れるし、納得できないなら反論なりすればいい。
 一方の悪口は他人を悪く言うことで、人格批判とも言える。人格の善し悪しなんて人に判断出来るもんじゃないから、人格批判は悪口にカテゴライズしていいと僕は思う。

 単純な例を挙げれば、ある人(A)が間違いを犯していたとして、周囲の人(B)が
B「それはおかしい。間違ってる」ってのが批判
B「そんな間違いするなんて頭悪いな」ってのが悪口
かな。


 これを混同されたら、批判側の善意から来た批判かもしれないのに、受け取る側に来ると、それはたちまち悪意へと変貌してしまう……。そしてそれは時々起こり得ることで、だからなかなか言いにくいわけ。
 確かに、批判されたらムッとしたくもなるけど、それをすぐ悪口だと捉えないで冷静に判断したいところです。